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平成26年度(12)  沢山美果子① 13:00~16:00 いのちを繋ぐ ー 乳からみた江戸時代の子育て

(12) 1/17(土)  沢山美果子① 13:00~16:00
いのちを繋ぐ ー 乳からみた江戸時代の子育て

第12回 1月17日(土)13:00~16:00
「いのちを繋ぐ
    ー乳からみた江戸時代の子育てー」

沢山美果子先生(岡山大学大学院客員研究員)

沢山先生ご自身は福島のご出身で、
震災の後のご家族のお話や、
いろいろショックをうけられたこと、
研究のあり方をさらに深く考えられたことなどを
はじめにお話いただきました。

乳についての研究は、2年前に亀岡での
研究発表が契機となりとりくまれたものの、
江戸時代、近世の授乳についての研究はまだ少ないのだそう。

現在、ふつうに使っている「母乳」という言葉、
江戸時代にはなくて、「母の乳、女の乳、人の乳」といった
言い方がなされていたのだそうです。

赤ちゃんを育てるにあたっては、
乳は重要なものではあったようで、
農民と武家社会とでは、乳の与え方に差があったとか。

下級武士の記録やらいろいろ残されていた文献や、
浮世絵には、乳房をだして男子に与える絵が登場していて、
その中にはお母さんは髪を結いながら
赤ちゃんというよりも幼児にお乳を飲ませている絵も。
そういった資料をもとに

農民は自分のお乳を与え、3,4年ごとに懐妊するサイクル
どうもお乳をあげることで、出産間隔があくことを知って
やって いたらしい。

武家では、乳母をやとい、自分の乳をたつと
すぐに妊娠するといった感じで、
毎年のように懐妊し、多産多死傾向(子どもが生き残るのが2、3人)
母親が病気になって亡くなるケースも多かった。

当時は20代~40代の女性の死亡率は、
男性の死亡率の2倍
お産で亡くなる母親は4人に一人くらいあったらしい。
そのため育てていくためにはもらい乳をしたり、
どうしても乳が出ない時には捨て子もあったよう。

乳がでることに価値があったらしく、
乳持(ちちもち)奉公といって、
農村の女性が武家の乳母として奉公にいくのは
当時としては支度金ももらえ、条件としてよかったらしい。

  時代劇では、徳川家の乳母の存在が
  描かれることが多いように、乳母(めのと)は
  重要な役割だったのでしょう。

江戸時代の藩制度の中には、人口が減らないよう
税の確保の意味もあって、養育料を与えるとか
乳母を雇う手当を与えるとか、藩によって
いろいろあったんだとか。
  そのあたりは、今の各県で子育て支援の様子が
  いろいろあるの似ている感じ。

明治に入って近代国家となり、
諸外国の状況をしるにつけ
子育ての環境には家庭が大事という考え方や
実の母と子の結びつきが強調され
ここで、「実母哺乳」が重視され、
「母乳」という言葉もでてきて
母乳が母性愛の象徴になっていくらしい。

ちなみに、浮世絵での乳の飲み方は縦抱きで
哺乳瓶がはいってきたことで、横抱きもでききたらしい。

お話の後、参加者からの感想や質問、それに答えて
いただく時間もあり、
参加者それぞれが、歴史をたどりながら
現代のことをあらためてとらえなおすことを
されていたようです。

私も、現在はこれがあたりまえと思っていたことも
その元をたどり、歴史的なスパンで見ると
一時のものでしかないといった
相対的な見方ができるという、
ここに、歴史を学ぶ意味があるように思いました。